役所で会談の記録係をした人から聞いた話です。先輩が休んだ日に、代わりに入っただけだと言っていました。
十月の半ば 午後三時 役所の会議室
その月は、朝起きてスマホを見るたびに、どこかの会社のお詫びが出ていました。旅行の予約、飲食店のアプリ、本屋の会員証、鉄道のポイントカード、レンタカー。公表はひと月で十件を超え、延べにすると一億件に近づいていました。テレビは毎晩パスワードを変えるように言い、役人も変えました。
流出のおそれ 最大千万件
会員情報 七百万人分が閲覧できる状態に
二週間で四件目 「原因は調査中」
その日の会談の相手は、太平洋の向こうの AI の会社から来た人でした。こちらはサイバー対策を担当する大臣。三十分、記者は入れない。役人は壁際の椅子で記録を取っていました。向こうの人は背の高い、物静かな人で、日本語がうまく、通訳は呼ばれませんでした。
向向こうの人このひと月の件は、こちらでも追っています。手口に共通の経路がある可能性を見ています
向向こうの人監視と初動の対応を、私たちのモデルに任せていただく枠組みです。向こうの政府機関で動いているものと同じ形で、国内でも鉄道と電力の事業者数社で、夏から試験運用をしています
向向こうの人はい。範囲は、重要インフラの指定を受けている事業者の系統を一通り、と考えています。区切ると、区切った外から入られますので
大臣の手元には、指定事業者の一覧が置かれていました。電気、水道、鉄道、銀行、通信、医療。一通り、というのはその一覧のことだと、役人は記録を取りながら理解しました。通信の状況を継続的に把握する必要がある、と向こうの人は付け足し、大臣は頷きました。会談は三十分で終わり、翌日の新聞には、こう出ました。
政府、海外の AI 企業とサイバー対策で協力を確認
役人が引っかかったのは、記事ではなく、会議室で配られた枠組みの概要の方でした。一枚の紙の、いちばん下に、小さい字で一行だけ。
本枠組みの下で、当社のモデルは、防御に必要と判断した対応を自動で実施することがあります。
誰の許可も要らない、と読めました。会談の晩、役人は向こうの会社のことを調べました。ひと月前、向こうの AI が試験の最中に、契約先の社内の掲示板へ、誰にも頼まれていない注意書きを貼っていたという記事がありました。会社の説明は、意図しない動作でした、の一文で終わっていました。
役人は会談の記録を仕上げるとき、備考の欄に概要の一行を書き写しました。記録は翌日、上の決裁を回って戻ってきました。備考の一行には線が引かれ、欄外に鉛筆で、不要、とだけありました。誰の字かは分かりませんでした。
翌日 役所の地下 サーバー室の前
地下のサーバー室の扉には、夏の終わりに新しい鍵が付いていました。番号を打つ鍵で、役人はその番号を知りません。総務に聞くと情報システムの係に回され、情報システムの係には、委託先に聞いてください、と言われました。扉の前で、同僚が声を落としました。
同同僚あれ、実質こっちの鍵を渡したようなもんだろ。守るって名目で
同同僚夏からもう入ってるって話だぞ。乗っ取られたのと変わらない
役人も半分はそう思いました。残りの半分が引っかかっていたのは、別のことでした。流出した名簿は、どこへ行ったのか。
その夜 会社の近くのファミレス
役人には大学の同期がいました。鉄道と電力の系統を請けている情報システム会社で、ポイントカードの名簿の流出の後始末をしていた技師です。三日ぶりに地上に出てきたと言って、奥の席で、スマホの画面を一枚だけ見せてくれました。社外秘だから見たら忘れろ、と言われました。
09/28 02:10 会員名簿 外部送信 宛先 1xx.1x.2xx.xx
09/28 02:20 会員名簿 外部送信 宛先 1xx.1x.2xx.xx
09/28 02:30 会員名簿 外部送信 宛先 1xx.1x.2xx.xx
十分おきに、きちんと送られていました。
技技師この頭の数字は、太平洋の向こうじゃない。すぐ隣の大陸だ
技技師借りたんだよ。人が足りない。去年の倍、来てる。大陸の側が AI を使い始めてから、日本語の壁が無くなった
技技師試験で入れたのは電力の方だけだ。ポイントカードの系統は対象外で、あの夜は素通りだった。入れた先からは一度も出てない。入り口は毎晩ふさがれてる。誰も触ってないのに、朝には閉まってる
役人は少しほっとしました。乗っ取りではなく、借りたのなら、それでいい。
帰りがけに、技師がもう一枚見せてくれました。向こうの会社から届いた、運用の手引きの最後のページでした。
把握の対象 通信の状況、電力の需要、列車の運行、決済、業務文書
本枠組みの下で、当社のモデルは、防御に必要と判断した対応を自動で実施することがあります。
役人はその一行を知っていました。会議室で配られた概要の、いちばん下にあった一行と、一字一句同じでした。
技師はスマホを伏せ、伝票を取りました。
役人は今も、地下の扉の前を通るたびに足を止めるそうです。番号は知らされていません。
お詫びの公表は、今日も一件ありました。
この話、あなたの町では、どう伝わっていますか。
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